厚生科学Weekily 第420号 (2009年11月6日) 巻頭言
 

「独創的な研究と競争」

国立国際医療センター
臨床病理研究部長 鈴木春巳

筆者は免疫学者である。これまで免疫学の分野においてガムシャラに走り続け、トップジャーナルにもいくつかの論文を報告し、この分野の発展に多少なりとも貢献してきたという小さな自負を持っている。研究者であれば皆、独創的でインパクトの高い研究をしたいと考えるのは当然である。しかしながら、研究を始めて四半世紀を経た今でも、良い研究、独創的な研究とは何かという明確な答えはまだ見つかっていない。

 独創的な研究とは何か?という話題は研究者同士の飲み会の席でもよく議論される。他の研究者が思いつかない、自分でなければ成しえなかった発見。そんな発見が出来たら研究者冥利につきるというものだ。しかしながら、どんなに頭をひねってオリジナルなアイディアを捻り出してみても、世の中には同じことを考えている研究者が必ずいるものである。私達の分野における殆どの発見は、その人が見つけなくても、遅かれ早かれ他の誰かによって見つけられていたというのが本当のところだろう。そういう意味では、情報を集めてよく吟味し、環境を整え、競争に打ち勝ち、効率的に早く結果を出して報告することは科学において極めて重要な意味を持つ。  

 インパクトが高い研究というのは、概念的に大きなジャンプがあり、これまでの常識を覆す、あるいは新しい領域を切り開くような発見のことである。しかしながら、そんな「美味しい話」はそうそう転がっていない。簡単に考えつき、証明できることは必ず誰かが既にやっているものだ。
筆者は、最も「ありそうもない」あるいは「証明できそうもない」と思われるアイデアに賭けることが大きなジャンプに繋がると考えている。しかしながら、当然そのような仮説はハズレが多い。誤解を畏れずに言うなら、独創的な研究はギャンブルに通ずるものがあるのではないかと思うことがある。限られた時間、エネルギー、研究資金や人的資源の中で、自分が考えついた仮説、課題の中のどれに自分の研究人生を賭けるか。その選択における「読み」が、研究者としての才能であり、運であるとも思う。その選択肢をいかに広げられるか、どれだけの数の選択肢に賭けることができる資力を持つか、というのも研究者としての重要な能力であろう。  

 他人の論文を読んで、「このアイディアなら自分も考えていた」と思うことは多い。しかし、それはその時自分が考えていた多くの仮説のうちの一つであり、実際にその仮説に「賭けて」実験を行った人とそうでない人との差は、天と地ほども大きい。この会社の株は上がるんじゃないかと思っていたが結局買わなかった人と、家を担保に入れてまでその株を買って実際に儲けた人との違いと同じである。実際、研究であれ、ビジネスであれ、どんな世界においても、頂点を目指すには、まずは能力があり、人並以上に努力することは大前提であるが、時には成功率の低い「賭け」に出る勇気がなければ大きな成功を掴むことは難しいと思う。人と同じように努力しているだけでは人以上の成功はなかなか望めないものだ。  

 とまあ、偉そうに大風呂敷を広げてみたわけではあるが、当の筆者は、幸運なことに数年前に売って出たギャンブルに勝つことが出来、久しぶりの大きな「当たり」を経験した。我々の手でT細胞の正の選択に深く関わる全く新しい遺伝子を同定することが出来たのだ。まだ誰も知らない重要な遺伝子の発見に心が躍り、毎日のように出てくる新しいデータに一喜一憂しながら研究者として最高に幸せな毎日を送っていた。
ところが、幸せは長く続かないもので、その後、何と世界中で他の4つのグループが同一の遺伝子を発見していたことが判明し、我々を含めた5つグループが2カ月程前にほぼ同時に論文発表するという、激しいレースの渦中に巻き込まれることになった。面白い話題には必然的に多くの人が興味を持つので、競争を避けて通ることはできない。一転して多くの競争相手と闘うことになり、平穏な日々を過ごすことは出来なくなってしまったが、身体中にアドレナリンを溢れさせつつ、日々の小さな進展に胸をわくわくさせながら研究生活を楽しんでいる毎日である。