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アスピリン物語

けんさ」32巻 p16-25, 2003(株式会社ヤトロン発行)より

 私は、アスピリンの常用者の一人である。テニスなどで汗をかきそうな時は、必ず小児用アスピリンを服用し、頭痛があると胃薬と一緒に飲んでいる。大腸がんの予防にも良いかも知れない。本稿では、アスピリンを巡る話題について述べてみたい。

 

アスピリンはドイツの製薬メーカーであるバイエル社が世界に売り出した大ヒット商品であり、鎮痛解熱の作用がある。構造はアセチルサリチル酸であるが、この名称の由来は、古代ギリシャ、インド、中国などで白ヤナギ(salix alba)の樹皮を解熱鎮痛剤として用いたことによると言われている。この薬草に含まれているのはサリチル酸であり、バイエル社のホフマン教授が19世紀末にアスピリンの合成に成功した。この後、インドメサシン、イブプロフェン、フェニルブタゾンなどが次々に合成され、これらは非ステロイド系抗炎症剤(NSAID, nonsteroidal anti-inflammatory drug)と総称されている。NSAIDの代表であり、また、代名詞の様になっているのがアスピリンであり、特にバイエル社の結晶は吸収が良いなどとの話があるが、その様な統計があるかは定かではない。NSAIDは解熱、鎮痛、抗炎症などに広く処方されており、また、幼児用アスピリンは子どもには使われず(理由は後で述べる)、もっぱら狭心症の患者の心筋梗塞予防に使われている。NSAIDは副作用の少ない薬であるが、最大の問題は、胃腸障害特に胃潰瘍の発生である。本稿では、アスピリンなどのNSAIDの作用機構、また、その副作用の機構を述べ、最後に三つのシクロオキシゲナーゼについて話したい。

1. アスピリンはなぜ効くか?

 1971年にJ. Vane(英国、1982年ノーベル賞受賞者)は薬理学的実験のすえ、アスピリンの解熱鎮痛作用はプロスタグランディンの産生を抑えるためであることを証明した。70年代の中頃、筆者が属していた京都大学医学部の早石、山本のグループがシクロオキシゲナーゼを精製し、アスピリンの作用を酵素学的に証明した。シクロオキシゲナーゼの一次構造が決まり、また、結晶構造も明らかとなり、アスピリンを初めとするNSAIDの結合部位が明らかとなった。アスピリンはアセチル基を酵素活性部位の付近のセリン残基の水酸基に転移させ、こうしてシクロオキシゲナーゼを非可逆的に阻害するというものである。インドメタシンその他のNSAIDも同様にしてシクロオキシゲナーゼを非可逆的に阻害する。シクロオキシゲナーゼはプロスタグランディン産生の鍵を握る酵素で、アラキドン酸に二分子の酸素を添加し、プロスタグランディンH2という中間体を合成する。こうして、出来たプロスタグランディンH2が共通の中間体となり、組織ごとに異なるプロスタグランディンがそれぞれの酵素で産生されるわけである(図2:拡大図,PNG, 109KB)。

 その後の研究から、発熱にはプロスタグランディンE2(PGE2)が、また、痛みにはPGE2やPGI2(別名、プロスタサイクリン)が関与することが明らかとなった。また、炎症惹起にはPGE2, PGI2, PGD2等がそれぞれ関与していることは、これらの受容体欠損マウスや産生酵素の欠損マウスから明らかとなった。

2. アスピリンの副作用

 筆者が渡米中に、アスピリンをお菓子のように何グラムも食べている(?)人をみて驚いたことがある。また、アメリカの映画を見ると頭痛持ちがアスピリンを常用しているシーンに出くわすことがある。世界中で、永年にわたり使用され、極めて安全な薬と言われているこのアスピリンであるが、実は重大な副作用がおこることがある。その一つが、胃潰瘍である。リウマチ患者の30%がNSAIDによる胃潰瘍に悩まされ、1%弱の人が、出血や穿孔などの重篤な副作用を示すことがある。これは、なぜであろう。胃の壁細胞は塩酸を分泌し、胃液のpHを1?2にしておく力がある。もちろん、酸性に至適pHを持つ、ペプシンという消化酵素の作用を助けるためである。空腹時にNSAIDを飲むと、胃液が強酸性となり、また、血管を収縮させることで、胃粘液などの分泌を抑えて、結果として胃炎や胃潰瘍が出来やすくなるのである。つまり、胃粘膜に対する攻撃因子を強め、防御因子を弱体化させるという二重の働きで胃潰瘍を作りやすくするわけである。このメカニズムも明らかになっている。つまり、胃の壁細胞には常にPGE2を作る作用があり、これが胃酸の分泌を抑制するブレーキの作用を持っていること、また、胃粘膜下の血管ではPGI2が出来ており、これが胃の血液循環を促進し、粘液などの防御因子を分泌し、消化酵素から自らを守っているわけである。NSAIDでプロスタグランディンの抑えてしまうことの危険性は明らかであろう。「バッファリン」という薬は胃液が酸性になりすぎないように、アルミニウムやマグネシウムなどアルカリ金属を入れ、緩衝作用(バッファー)を作っており、また、NSAID服用は食後と指示しているのもこうしたわけである。

 この他、腎障害が稀におこる。実際、シクロオキシゲナーゼを完全欠損したマウスは腎機能の低下が認められている。妊婦には多くの場合、禁忌となっている。これは、プロスタグランディンが受精、着床、分娩に働いているせいである。また、極めて稀な病気であるが、インフルエンザにかかった乳幼児にアスピリンを投与すると、Reye症候群という致死的な疾患を引き起こすことがある。高熱の幼児にアスピリンが投与されなくなり、市販されている「小児用バッファリン」とは、アスピリンの代わりにアセトアミノフェンが入ったものである。

3. 二つのシクロオキシゲナーゼ

 既に述べたように、筆者らは1970年代に、タンパク精製により精嚢からシクロオキシゲナーゼを単離していた。多くの研究者の努力にも係わらず、シクロオキシゲナーゼのアイソザイムを見つけることは出来なかった。ところが、1980年代の終わりに、遺伝子工学の力でシクロオキシゲナーゼの一次構造が明らかとなり、これが90年代の大きな展開につながった。即ち、シクロオキシゲナーゼー2(Cox-2、コックスと発音)の発見である。この大発見はプロスタグランディン研究者ではなく、遺伝子を自由に操作する癌の研究者による成果である。91年二人の米国人研究者(SimmonsとHerschman)はがん化した線維芽細胞に特異的に発現の上昇する遺伝子を探索していた。また、単球をエンドトキシンのような菌体毒素で刺激すると増加する遺伝子の一覧表を作製していた。この過程で、両方のケースで、シクロオキシゲナーゼと60%以上の相同性を持つタンパクを見つけ、この酵素活性を測定したところ、立派なシクロオキシゲナーゼ活性を有していた。このたんぱくはシクロオキシゲナーゼー2と命名された。図3 (拡大図, PNG, 132KB)に示すように、Cox-1は恒常的に存在する酵素でおそらく、生理機能に関わり、Cox-2は炎症や発ガン時に誘導される酵素で、発熱や炎症にinvolveであろうという一見単純な仮説である。当然の事ながら、Cox-2選択的阻害薬の開発に企業は集中し、現在、三つの会社からCox-2選択的(相対的にという意味)阻害剤が作られ、米国では既に慢性関節リウマチ、変形性関節症、強直性脊椎炎などに爆発的に使用されている。効果は旧来のNSAIDと同じか少し弱いくらいであるが、消化管障害、特に重篤な出血や穿孔などが極端に少ないと言われている。胃粘膜を保護している生理的プロスタグランディンの産生を阻害しにくいためであろう。まさに、夢の薬である。現在、Cox-2選択的阻害剤は、大腸がんやアルツハイマー病に効くのではないか、との期待で臨床治験が行われている。遺伝子工学、薬理学が副作用の少ない創薬へと結びついた貴重な例であろう。早晩、日本でもCox-2選択的阻害薬が処方され、また、市販されるときが来るであろう。しかし、選択性はあくまで相対的なものであり、食後の服用が必要であること、また、長期投与者は定期的な消化管検査が必要な事は言うまでもない。

4. Cox-2と大腸がん

 前項で、Cox-2選択的阻害薬は大腸がんの予防に使われる可能性を述べた。その背景を説明したい。アメリカでアスピリンを常用している人がいることは先に述べた。例えば、過重労働で生理痛や頭痛に悩む看護婦などがその例である。これらの「常用者」に大腸ガンが少ないという統計があった。しかし、それは不十分な統計であり、実際に、疫学的に調べようと言うことになった。10年以上、NSAIDを飲まないと言うのは大変な検査であり、また、倫理的問題もある。そこで、アメリカでは、臨床医が自ら申し出て治験を行うこととなった。10年間にわたる追跡の結果、投与群では有意に大腸ガンの発症率が減少していたのである。このあたりは、アメリカの開拓者精神躍如という感じである。では、なぜ、NSAIDで大腸がんが予防できるか。これはCox-2の働きを抑えるためである。大腸がんは大腸ポリープから出来るものが多い。大腸ポリープでも遺伝性のものがあり、家族性腺腫性大腸ポリープ(familial adnomatous polyposis coli)と呼ばれる。これはAPCという癌抑制遺伝子の変異または欠損によるものである。実際、APC遺伝子を欠損したマウスは大腸に数千のポリープを形成し、栄養不良、出血で死ぬほか、他の遺伝子の変異も加わり、大腸がんとなる。APC欠損マウスにCox-2阻害薬を用いるとポリープの数が激減した。また、Cox-2欠損動物と交配すると同じく、ポリープの大きさ、数とも減少した。こうした薬理学的、また、遺伝的解析から、APC変異による大腸ポリープの発症には、Cox-2由来のプロスタグランディンが関与することが明らかとなったのである。ネズミではこうだが、人の大腸ポリープ、大腸がんの発症に、Cox-2の阻害薬がどの程度効果があるかは、大変興味深い事である。

5. 小児用アスピリンと心筋梗塞予防

 既に、小児用バッファリンからはアスピリンが除かれ、アセトアミノフェンに変わったことは述べた。小児用アスピリンは小児ではなく、成人に使われているのである。狭心症を起こした患者は1年以内に心筋梗塞を引き起こす率が高い。こうした重篤な血栓性疾患を予防するには、血小板機能を抑えることが重要で、小児用アスピリンが使われている。上司や顧客とのストレスの多い、接待ゴルフ、一日身も心も疲れて脱水となり、ついビールを飲んでさらに脱水を起こす。こうしたときに、心筋梗塞の危険が待っているのである。予防は小児用アスピリンである。筆者も日曜にハードにテニスなどするときは朝、アスピリンを少量飲むよう習慣づけている。やや、出血傾向が出ることがあることと、胃腸障害の予防さえ気を付ければ、これは効果的である。(と私は信じている)。ここで注意すべきは、抑えるべきはCox-1であり、Cox-2選択的阻害剤では駄目であると言うことだ。ご存じの様に血小板には核が無く、タンパク合成も起きない。ここに存在する唯一のシクロオキシゲナーゼは恒常的に発現するCox-1である。小児用を選ぶのは一日70mg程度が血小板のシクロオキシゲナーゼを抑えるのに効果的であるからである。NSAIDは、アラキドン酸からPGH2の合成を抑えるのであって、血小板にあるトロンボキセン(血小板凝集や血管収縮能を持つ)を特異的に抑えるわけではない。血小板は感受性が高く、一度失活した酵素を補う術を持たない(新たなタンパク合成がないから)。少量のアスピリンでも効くのはそうしたわけで、多量に用いると血管に存在し、血栓防止作用を持つプロスタサイクリンまで抑えてしまう。この結果、抗血栓作用が弱まるのである。これをアスピリンジレンマと呼ぶ。最近のNew England Journal of Medicineによれば、やはり長期の追跡調査から、アスピリンなどのNSAIDが冠動脈血栓の防止に役立つことが疫学的にも証明された。しかし、脳血栓にはあまり効果が無いようである。

6. 終わりに

 アセトアミノフェンはなぜ効くのであろう。鎮痛解熱剤として広く使われ、抗炎症作用は弱く、また、精製したCox-1, Cox-2には阻害作用を示さない。Cox-3があるのでは、と冗談の様に言われていたし、筆者も相同性を利用して、ゲノム中の類似遺伝子を探したことがある。本稿執筆中に、Cox-2を発見したSimmonsがProceeding of National Academy of Science (on line版)に大々的にCox-3が存在し、アセトアミノフェンが効くと発表した。これも大きなニュースである。ただ、新しい遺伝子ではなく、Cox-1のスプライシングバリアントであると言うことである。もちろん、誘導されるわけではなく、アセトアミノフェンの作用も部分的である。真偽は今後の追試を待たねばならぬが、また、新しいトピックスが登場したことだけは事実である。